2011年5月アーカイブ

愛車パジェロイオには約12年乗っています。特に問題はないのですが、経年劣化もあり、そろそろ次のクルマを...。それで最近のエコカーブームも意識して、私はディーゼルエンジンのクルマに乗りたいんです。それはもう強烈に!だけど、いい玉がなくて、とても悲観的な毎日を送っています。

え...、ディーゼルエンジンがエコカーだって?と疑問を持たれたあなた。反省しなさい(笑)。エコカーはハイブリッドカーや電気自動車だけじゃありません。既存のガソリンとディーゼルも10年前と比較して燃費が約2倍ぐらいのエンジンを乗せてるクルマは、やっぱりエコカーだと思いますし。

それに、新規インフラ(充電ステーションやバッテリー等)の建設や開発が必要とされないことも、十分にエコですよ。以前からの疑問なんですが、バッテリーは100%化学製品ですけど、あの製造は果たして地球に優しいのでしょうか?

さて、なぜ私がディーゼルにこだわるのかというと、低速低回転でも太いトルクが出せるから。都市部だとスタートする機会が多いから、太いトルクは魅力的。ガソリンエンジンだと3リッター前後のトルク出力が、ディーゼルだとより小排気量で出せそうなんですよね。

あ~、乗りたいな、ディーゼルカー。一応、国内だとエクストレイルとかが条件に合っているのですが、デザインがとても気に入らない。あとは三菱だとパジェロ。これは高価だし無駄にデカくて無理。あと ASX という RVR の海外版を販売しています。ボディサイズが希望より小さめなんですが、こいつを国内でも販売してくれないかな~。一度、乗ってみたい!

先に断っておきますが、私は政治家 小沢一郎の支持者でも「小沢信者」ではないと自覚しています。彼を擁護したり応援したりするのは、反マスコミの立場から行っています。ただ、小沢アレルギーを患っている人から見たら、どんな形であれ小沢氏を擁護、応援するだけで立派な「小沢信者」なのでしょう。何度もそう言われてきましたし、そう思われることは仕方ないです。それは私の問題ではありませんけど、先に私の立場を明確にしてから、下記の文章を読んでいただきたかったので、書かせてもらいました。

私は、小沢氏を「現在、最もマスコミから被害を受けている人物」として見ています。日本のマスコミって、何かおかしいぞ?と思い始めてから十年近く経ちますが、その中で最もマスコミによる報道被害を受けている人物です。その理由は、彼の政策が既存のマスコミ企業やそのビジネスには、利益にならないどころか、既存マスコミの解体につながるものが多いからでしょう。その結果、小沢氏が国民のために有益な政策を挙げたとしても、マスコミがそれを「自由自在に表現を歪曲して」伝えるため、つねに彼にはマイナスイメージが付けられて終わります。

その反証になるか不明ですが、小沢氏公式サイトの「政策とオピニオン」を読んでみてください。彼の代表的なイメージ「影の独裁者」とはイメージが違う主張が並んでいます。マスコミから与えられた情報と、直接、小沢氏側からあなたに届けられる情報では、どんな違いがあるでしょうか。おそらく両極端に感じることと思いますので、普通なら間を取って中間ぐらいに受け止めるでしょうが、小沢氏に対しては「特別な対応」をされると思います。それが小沢アレルギーの反応の一つです。

小沢アレルギーとは、マスコミに植えつけられたマイナスイメージに囚われている状態のことを言っています。彼の政策的な主張に反対している方は含みませんので、どうぞ誤解なきようお願いします。

さて、マスコミがどうやって彼にマイナスイメージを植え付けているかというと、下記のような記事を例に挙げたいと思います。

「1億円」証言 小沢氏の説明聞きたい(5月16日)

記事の後半に「同氏には司法的責任とは別に政治的・道義的責任がある。」の一文があり、この責任を果たさない小沢氏は無責任であるという内容になっていますが、本当に裁判で裁かれていることに対して、国会で説明や主張することが政治的・道義的責任を果たすことになるのでしょうか?

いわゆる「説明責任」を果たせ!ですけど、相手が納得しない限り果たせない「説明責任」などという責任論に基づかない言葉を背景に書かれたこの記事は、彼の行動への批判ではなく、もっともらしく聞こえる「言いがかり」に過ぎません。時には金を払ってもらう読者に対して、自分たちの言いがかりを読ませるというのが、本当にマスコミの仕事と言えるのでしょうか?

また、こんなタイプの記事も山ほどあります。

民主党:統一選敗北で激論 小沢氏側近、執行部批判--幹事会

記事を読んでもらうとわかるのですが、ここに一切、小沢氏は登場していません。マスコミでは、山岡氏ら小沢グループの議員が何か行動するだけで、常に小沢氏の影が付きまといます。現在、役職はないけど一議員としてここまでの影響力がある人物はいないでしょうと、彼の凄さを感じるか、小沢グループの議員は「どこまでも小沢氏に操られているんだよ」と暗に示して独裁者的イメージを植えつけようとしているのか。受け取り方は読者に丸投げされる記事です。

例を挙げると切がありません。それは特定の個人に対する記事で、ほぼすべてが批判的な内容になる人物は、小沢氏の他にはいないからです。そういう記事を読み続ける読者がどう考えるようになるのか。小沢アレルギーは発症して必然といえる日本人の現代病の一つでしょう。

また、それは国民の一人として、とても残念だと思います。マスコミ不利となる政策を挙げたら、政治生命が終わる。そんな不公平が許されて、世の中の何が良くできるというのでしょうか?

マスコミには「報道の自由」という特権を、自らの利益誘導に使う自己中な報道姿勢を一刻も早く慎んでもらい、視聴者=国民のための報道というサービス提供に変えてもらいたいと思います。

しかし、すでにマスコミは、この小沢氏の件だけではなく諸々あって「狼少年化」しつつあると観察しています。表現を発信する者の責任を、いつからか果たさなくなったマスコミの落日が始まっているのは、受けるべき当然の仕打ちでしょう。...ざまあみろww

開始時期の記憶が定かではないのですが、たぶん1年以上つぶやき続けたTwitterをやめることにしました。とても斬新で面白いサービスだったので、当初から情報収集やネット世論の一粒として参加してきたつもりですが、先日、個人的に持っていた目的を達成できなくなってきたことに気付きまして。だったら、やめちゃおうかと思いついて、新規つぶやきをやめることにしました。まだタイムラインのチェックは時々やってます。もしかしたら復活するかもしれませんが、今のところ、その見通しは立ってないです。

Twitterで達成できなくなった私の目的とは「1次情報の収集」です。そのユーザーが経験した「生の情報」を得られることを期待していました。そして、ある程度は実現できています。東日本大震災の時なんて物凄かったですし。ああいうステキな経験ができたことにはTwitterにとても感謝しています。私もささやかですが1次情報を提供するように心がけて参加して良かったと思いますし。

ですが、今現在では、その面影がないと思います。マスコミが報じている情報に反応する「2次情報」に溢れていますし、また、1次情報のデメリットとしての「デマ拡散問題」も放置されたままです。これらを排除してタイムラインを見ることに目的が見えなくなってしまいました。

これらを改善していこうと、微力ながら「提案つぶやき」を何度となく試みたのですが、私の無力さを改めて実感するだけでして...(苦笑)

たぶん、このままの調子でTwitterが利用されるのであれば、私の大嫌いなマスコミに近いようなサービスになるのでは?と懸念しています。日本人の国民性なのかもしれませんが、ユーザーの憶測が含まれている2次情報なのに、その中に「明るい2次情報」が一切、ないんですよね(笑)これじゃマスコミ同様、「不安を煽る情報サービス」と化しているので、タイムラインを見ないほうが精神衛生上、健康になれそうだと考えたのも、やめる動機に含まれています。

あと、些細なことではありますが、私の立場から見ると間違っているように考えたので、そのつぶやきに対して反論(もちろん礼儀は踏まえてますけど...)を返したら、いきなり烈火の如く「反撃」されたこともありました。「お前ごときが~」という文章で始まる文面をもらったのは、ここ10年はなく、とても懐かしい経験もさせてもらいましたww

今は失望の底にいますが、またいつか、戻れることに期待しています。

3月11日に発生した東日本大震災によって、福島原発の6台すべての原子炉設備が影響を受け、すでに2ヶ月以上経過していますが、放射能汚染は一向に終息する気配がありません。そのことについて、私はとても怒っています。どんな理由があって、私たちが放射能汚染を受けなくてはならないのか?政府は、私たちをモルモットや家畜と同列に見ているのではないでしょうか?

3台の原子炉は大破しており、「通常の方法」では、放射能物質の施設外部への流出を止めることができない状態です。放射能物質の中には、放射能を失うまでの期間が何万年もかかるものがあり、それらがごく微量ではありますが、日々、私たちの周辺に蓄積していきます。水や食べ物から体内被曝することもあるでしょう。今はわずかな量であっても、蓄積していくにつれ健康被害が顕在化する量に達します。私たちは現在進行形で、確実に被害を受けています。

そんな状況に直面しているというのに、責任感の欠片も見せない政府と東電には、怒り爆発です。また、他人事のように、怒る素振りを見せないみなさんも同様です。なんでそんなにシレーッとしていられるのか?自分や家族の身を守りたくはないのか?政府や東電、みなさんも含めて、全員、諦めてしまっているのでしょうか?

怒って何かが変わるのか?と問われれば、それに反応して、政府と東電が責任感ある行動をとる可能性がある、と答えます。今のように、怒りをほとんど表現しなければ、この場をどうにか凌がれてしまい、時間が過ぎれば、彼らから反省の気持ちもなくなるでしょう。そして、同じ過ちを繰り返し、私たちがまた被害を受けます。それが人間だと言われれば、それまでですが。

私は怒りを胸に、福島原発の行方を見ていきたいと思います。

親父が死ぬということ

| トラックバック(0)

4月28日13時34分、特殊な癌(神経内分泌腫瘍の一種らしい)に侵された親父が永眠しました。享年68歳。4月中旬に大量の吐血をして緊急入院し丸2週間、ロクに治療はできないまま寝たきりを続けて、相当な痛みと苦しみの中、最期は眠るように息を引き取りました。

病気が顕在化したのは2月上旬。胸部中央に小さな瘤(こぶ)が出来たのが発見されて、その後、適切に診察と検査を続けてきましたが、原因がよくわからないまま、癌らしき瘤の進行が異常に速く、約1ヶ月後には同様の瘤が、ほぼ全身や体内に見受けられる状態にまで進行していたようです。その瘤には痛みがあったので、錠剤の鎮痛剤を服用しながら診察と検査を続けて、入院治療をする準備を進めていました。ここまで本人主導で。医師からは大体の告知はされていたようです。大体というのは、一応の病名はあるものの、これという原因は最期まで特定できないような珍しい腫瘍だったためです。

母も詳細はまったく聞かされていませんでした。緊急入院直後に私と母が主治医に呼び出され、詳しい説明がありました。前述の病気の詳細についてと、吐血による体力低下のため、現状では一切の治療は不可能で、いつ何が起きても不思議ではない状態と。いわゆる「手の施しようがない状態」という現実に突然、直面させられました。

私にとって、決して良いとは言えない親父でした。幼い頃は一緒に遊んでもらった記憶はあまりありません。数回、釣りに同行したのを覚えているくらいで、家族と常時、距離を置く感じだったので、私が思春期の頃から20歳ぐらいまでの間は、ほとんど会話をしない親子でした。私が社会に出るようになってから、親父の苦労が少しはわかるようになり、たあいのない友人のような会話をするようになりましたが、最期までほとんど酒を酌み交わすこともなかったです。冷えた親子関係からちょっとした友人関係へ、そう表現するのが今でもピッタリだと思います。

親父は、あまり社交的ではありませんでしたが、独特のユーモアがあり頭が良いという評判で我が一族では一目置かれる存在でした。大人しいご意見番みたいな感じです。その評判に相応しい対応を最期まで続けていました。瘤の痛みとのどの渇きについては弱音を吐いていましたが、それ以外は、最期までほとんど取り乱しませんでした。意識はハッキリしていたので、いつも通りの冗談交じりの会話に終始していました。

そういう人間が2週間という短期間でいなくなりました。私にとっては、生まれてから存在して当然の人がいなくなりました。親父と母は幼なじみだったので、母にとっても近い印象だと思います。正直、まだ2人とも実感というか喪失感などがあまりありません。何となく必要に迫られる感じで、相続とかの手続きを少しずつ進めていますが、それでもまだわかってない感じです。今後、法事や納骨を進めていく中で実感できるのでしょうか。

アニメ「プラネテス」でユーリが「大切な人がいなくなると、悲しくもつらくもないんです。何もないんです、気持ちが。考えないことです。考えすぎはよくないですよ。どんな相手とでも別れは来る。それが早いか遅いかだけの違いです。そう思わなければ、つらすぎるでしょう?」と言ってました。このセリフの後半は、まだよくわかりませんけど、前半は実感です。このセリフのまんま。後半がわかる日がいつか来るのかな。

最後になりましたが、親父の面倒を見てくれた「神奈川県立がんセンター」の皆様には家族一同、大変感謝しています。こちらに入院できて良かったと思っています。夜中でも気兼ねなく面会に行くことができましたので、仙台にいる弟も週末には来て、久しぶりに家族全員が揃う貴重な時間をできるだけ多く取れました。しつこくナースコールを押しても、毎回、ちゃんと来て対応してくれました。何より最期まで親父を人としての敬意を払って扱ってくれました。この場ではありますが、お礼を述べさせていただきます。どうもありがとうございました。

ウェブページ

とむってこんなヒト

イラスト:とむ
  • 最後の晩餐で食べたいものは「ミート矢澤のリブロース。お肉がトロけました、ホントです。」
  • 性格を一言でいうと「変なもの好き」
  • 小学校の給食で好きだったものは「筑前煮」
  • 親友に一言「いつも俺から連絡してるじゃん?たまには連絡くれ。」
  • 得意なことは「適当にごまかすこと。ごまかしきれなくなっての平謝りは次点です。」
  • 苦手なことは「デザイン制作。ま、本職じゃないからいいんだけどさぁ、と言い訳してます。」
  • 好きなアニメは「紅の豚と攻殻機動隊。この2作品は本物だ」
  • コンビニでよく買うものは「肉まん。売ってるなら夏でも買います!」
  • お化けを見たことが「あるような気がする。たぶん忘れたい記憶なんだろうと思う。」

厳選ブログパーツ

Powered by Movable Type 4.25

このアーカイブについて

このページには、2011年5月に書かれた日誌が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2011年2月です。

次のアーカイブは2011年6月です。

最新の日誌は管理人とむの日誌トップページで見られます。過去の日誌はアーカイブからご覧ください。